テルアビブ大のユヴァノラルハラリ教授は、著書 “ホモデウス” のなかで以下のように述べています。人類は、それまで生命をおびやかしてきた飢餓、疫病、戦争をほぼ克服しており、自身が生命ピラミッドの頂点、つまり神のようになる。しかし人は、つまるところアルゴリズムであり、その行動原理となる基本メタデータに支配され、結果的に支配者としての人類と家畜としての人類に分別されるであろう、と。何百年、何千年の時空スケールでは真理なのかも知れませんが、現代を生きる我々にとっては、簡単には受け入れられません。なぜなら、同著が出版された時は、コロナウイルスのパンデミック感染が世界を席捲しており、その後ロシアがウクライナに侵攻。さらにその翌年以降は、ハマスによるイスラエル攻撃がきっかけでパレスチナガザ地区での戦闘が激化しています。このような世界の理不尽はいまだ解決の目処がたたず、今後も国際政治の動向から目が離せません。現時点で人類は、“神”どころか、遺伝子に自暴自棄がコードされた“バカな単細胞生物である”としたほうが、よほど説得力があると思います。
そのように、簡単には克服できない人間社会の理不尽の主体は、暴力(戦争から家庭内暴力、一部メディアによるフェイクニュースまで)、差別(性差別から人種差別など)、災害(地震や津波、森林火災など)、そして疾病であると考えています。医療とは生命科学を基礎としたサイエンス実証現場であり、私の挙げた四つ目の理不尽に対峙するものです。こうしている間も、いきなり眩暈がして精査したら白血病だった、いきなり胸痛がおこったら大動脈が裂けていた、極度の便秘だから調べたら大腸癌だった、などなど、自らどうすることもできない運命が突然人々に襲いかかっています。私はこのような理不尽に耐え難い怒りを覚えます。当科、総合東京病院心臓血管外科も、理不尽きわまりない心疾患、血管疾患に日々向き合い続けています。
“疾患”という理不尽にさらされた方、あるいはご家族が深刻な疾患にさらされたという方、多いのではないでしょうか。そのような方々の立場からすれば、一見神聖に見える白衣を着た医師から、“あなたは大丈夫です”、と言われたら、一時的にもほっと安心されるでしょう。しかし医師の”大丈夫”とは、“今のところ”、“医師の視野範囲のデータから鑑みるに”、という隠された前置きがかならず存在します。これは、この車の安全性はほぼ大丈夫だとか、このマンションはよほどの火事でも耐えられるという文言といくらか似ています。あらゆる診断や医療行為に100%はありえません。しかしそのような不確実性を併せ持つ医療だからこそ、患者さんひとりひとりに真摯に向き合い、正直にお話しし、今現在の自身のベストを発揮して患者さんに寄り添うことが、唯一われわれにできる誠意です。ですから、“私があなたを治療した”という医師がいるとすれば、こころなしか私には傲慢に聞こえます。心臓や血管の手術がうまくいったとして、その後その方が元気でハッピーにリカバーできるかどうか。術後管理を徹底しながらも、祈りながら寄り添うことしかできないことも多々あります。
伝説のプロマーケターの森岡毅氏は、著書 “苦しかった時の話をしようか” の中で、次の様に述べています。人が、本当に辛いのは、死ぬほど忙しい時でもなく、また仕事がうまく行かなかった時などでもない。自分自身の存在意義がなくなってしまうのではないかと不安に陥る時である、と。働き盛りの方が、今週も私のもとで心臓手術を受けられました。患者さんのさまざまな不安のなかには、病気そのものに関する不安はもちろん、そのように社会的存在意義を失ってしまうのではないかと不安に陥る患者さんもたくさんいらっしゃいます。ですから私は低侵襲治療にこだわります。当科では、可及的に右小開胸、左小開胸手術を導入しています。特に、ご自身の職務に大きな不安を抱いておられる方の場合には特に、術後4日後退院をルーチンとして、早期職場復帰を目指していただきます。
当科は、循環器領域の中の外科領域ですから、基本的には心臓血管手術が必要になられた方が受診されています。本当は、私のような外科医に知り合うことなく一生を全うするのが望ましいことは言うまでもありません。しかし、ご自身にふりかかったこの理不尽は、受け止める以外にしかたのないものとして腹をくくってファイトしていただき、私と一緒に心臓血管病と対峙していただきたい。きっと、私たちはあなたのお役に立てると思います。
2024年3月
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