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 心臓病と血管病の手術適応を有する患者さんのために診療しています。心疾患で心不全や不整脈に見舞われた方々、動脈瘤で破裂の危機にさらされている方々など、手術適応は多岐に渡ります。手術は全身麻酔による鎮痛、鎮静下に行うものがほとんどですので、眠っている間に終わる施術ということになります。言い換えれば、ご自身の体の中で行う大事な手術操作を、眠っている間に医療者側に任せるということですから、患者さんの立場からすれば、相当信頼できる外科医でなければ自分の手術を依頼できないのは当然です。私は年間約150人の患者さんに対して心臓、胸部大血管手術を執刀(あるいは指導的助手)していますが、その一人一人の患者さんが、私を信頼していただいた大切な方々で、手術に立ち向かわれたその勇気に敬意を込めて診療しています。

 手術を余儀なくされた方々のために、本当の意味でのプロとして貢献したい。そのような想いで、日夜心臓血管外科診療を担当させていただいています。

循環器科と常に連携

​ はっきり申し上げますが、心臓血管病の主役診療科は循環器科です。心臓血管外科ではありません。なぜなら多くの循環器病の治療は循環器科で完遂されています。外科手術を受けなくても良好な経過が見込めるのであれば、誰も手術など受けたくないはずですし、だからこそ優秀な循環器科医が、循環器疾患で悩む患者さんにとって救世主になるはずです。一方で、優秀なプロの循環器科医ほど、心臓血管手術の利点、欠点をよく理解されておられますので、“手術は大変だけど、長期的に鑑みればあなたは手術をお受けになられた方がいい”というような根拠に基づく明確なコメントがなされ、その理由がきちんと説明されます。プロ意識の薄い循環器科医は、“手術する方法と、手術しなくてすむ方法とありますが、どちらになさいますか?”という無責任な説明を平気で患者さんに行います。幸い私は、プロの循環器科医師に囲まれて診療させていただいているため、手術適応と判断されご紹介いただいた患者さんの多くは、なぜ手術が必要なのかすでにご理解されています。

 また、私の認める優秀な循環器科医の特徴の一つに、付き合う心臓外科医を選んでいるということもあります。心臓手術を受けた患者さんの術後経過は、循環器科医には“まる見え”なので、手術を推奨したことがよかったのかどうかの検証など、目の前で極めて簡単明瞭です。手術を推奨した以上、責任を持って外科医師に紹介しようとされるのは当然で、だからこそ心臓外科医を選ばれているのだと思います。

 循環器科との連携とはそのように、院内の馴れ合いなどでは決してなく、互いに切磋琢磨し合う信頼関係を意味し、患者さんだけでなく、循環器科の先生方に十分満足いただけるプロの仕上がりを提供することが我々の使命になります。

​新しい治療法へのアプローチ

 心臓血管外科は、もちろん“心臓と血管の手術するセクション”です。昨今、この手術治療手段の多様化が進み、同じ疾患の手術適応例に対し、様々な治療オプションを提供できる状況になっています。例えば同じ大動脈弁疾患に対しても、人工弁、弁形成術、経カテーテル的治療など選択肢は多岐にわたります。患者さんたちにとっては、治療の選択肢が広がり、よりご自身のライフスタイルに合わせて治療を選択できるわけですから、ハッピーには違いありません。ですから各施設は、高らかに新しい治療方法や治療機器(デバイス)の利点を唱い、その結果をそれぞれが自画自賛します。しかしながらそこでわれわれ外科医があえて立ち止まり、留意しなければならないことがあると思います。個々にプランし施行した新しい手術技術そのものが、目の前のその患者さんにとって本当に有益であって、その人を本当にハッピーにさせているかどうか、術後5年後、10年後の治療効果の見通しを、患者さんにきちんと説明できているかどうかの検証です。当たり前のように思えますが、これが極めて難しい作業です。文献的データを持ち出したところで、新しい治療法なだけに実は医師もよくわかっていないことが多いのです。例えば過去にも、重症の特発性心筋症という末期的心機能不全の方に、“バチスタ手術”という手術が取り沙汰されました。ご存知の方も多いと思います。多くのテレビやドラマで取り上げられ、大変な苦労を重ねられた末期心不全患者さんにとっては救世主だったはずです。今、国内外でバチスタ手術を行っている施設はごくわずかに限られ、しかもその適応も手術法も大きく修正が加えられています。またアメリカではこの手術はほぼ禁止に近い状況にあります。いま日本でも循環器ガイドラインによれば、エビデンスレベルが6(1~6段階)、適応グレードはC2/D(A~D段階)、つまり、患者データに基づかない専門家意見のレベルの根拠として、科学的根拠がなく行わないよう奨める、または害を示す科学的根拠を有し行わないよう奨める、となってしまっています。今も昔も、リスクを負って手術を受けられた患者さんとすれば、そのリスクに見合った長期的成果を期待されるのは当然ですが、結果はお世辞にも良好とは言えません。当時バチスタ手術をお受けになられた患者さんたちは、今のこの現実について、当時どれほど的確な説明をお受けになられたのでしょうか? 新しい治療法のコマーシャルは、じつは難しい説明責任を背負う必要があるのです。ところが施設によっては、その肝心な説明があまりに軽率で、患者の人生など“われ関せず”なのかと疑いたくなる事例もありますし、また施設によっては、人間を墓場から掘り起こしてまで新しい治療法を試行しようとしていると揶揄したくなることもあります。残念ながら、“医師がやりたい治療=その患者さんに最適な治療”になっているとは限らないことを皆さん認識されるべきです。ガイドラインは存在しても、解釈次第でなんとでも方針が変えられるケースも多く、そのようなことにいかにフェアになるかという決定的自浄システムは、日本の医療界に持ち合わせていないからです。そもそも、手術成功とはどう定義されるのでしょうか? 緊急手術においては確かに、生死をさまよう状況の方を、とりあえず救命できれば成功と言えるかもしれません。しかし、将来の生命予後を改善しようとする手術(今現在、確かに心疾患による息切れがあっても、とりあえず日常生活はできている方の手術)では、1年やそこらでは成否はわからないはずです。デバイス操作の成功が、必ずしも手術成功ではありません。新しい治療法であればなおさらです。にもかかわらず、またある施設では、Web上で、“術後30日以内に死亡していない=手術成功”、として、手術成功率を高らかに掲げてあります。明らかにそれは、医療者側の安易すぎるマスターベーションで、そのような文言が無造作にネット上に掲載されている事実は憂慮すべき事態だと考えます。もちろん医療は、今も、今後もinnovationは必要です。ですから新しい治療法や治療機器の開発は今後も続いていきます。その有効な取り扱いコンプライアンスこそが肝要で、そこでわれわれ医師の良識が問われます。医療は発展途上にありながらも、患者の人生はたった一回であると外科医は今一度認識すべきです。患者さんの多くは、私より長く人生を歩んで来られた先輩でいらっしゃいます。是非、ご自身の全知覚神経を作動させ、診療を任せる医師や施設をご自身で選ばれたらいいと思います。

​心臓手術は今や安全か?

 さて皆さん、ここで一緒に考えてみましょう。心臓手術は、世の中で言われるほど“安全”になってきたのでしょうか。皆さんに、この問題を考えていただくべく、まず航空業界の話をしたいと思います。

 

 ー1978年12月、ニューヨークから飛び立ったユナイテッド航空178便がポートランド空港に着陸しようとしていた時だ。マクブーム機長は着陸のため車輪を下ろすランディングギアのレバーを下げた。その瞬間ドン!という異常音とともに機体が大きく揺れた。そして車輪がロックされると点灯するはずのインジケーターランプが点灯しなくなった。機長はすぐさま管制塔に連絡を入れ、車輪の確認ができるまで飛行を延長するよう要請し、空港上空での旋回が始まった。ところがその時点で燃料が残りわずかであり、旋回できる時間も限られていた。残燃料が徐々に減少する中、航空機関士は落ち着かない様子で機長に残燃料と旋回可能時間を報告する。機長はそれになんの反応も示さず、考え続けた。車輪は下りているのかどうか、確認方法が他にあるのではないかと。そのうちさらに残燃料が減少し、再度航空機関士は燃料不足が進んでいることを機長に報告。すでに冷静な判断力を欠いた機長は、まだ15分の飛行は可能な燃料は残っていると主張する。驚いた機関士は慌てて返答する。“15分?そんなに持ちません機長!” この時機長は完全に“時間の感覚”も失っていた。燃料は刻々と減り続ける。副操縦士と航空機関士は、なぜ機長が着陸態勢に入らないのか理解できなかった。しかし権限を持っている機長は彼らの上司であり、いずれも機長を“Sir”と呼んでいた。機関士が叫ぶ“第4エンジンが止まりました!”機長が返答する“なぜだ?”完全に機長は時間の感覚を失ったまま、車輪のロックを確認しようとする以外のことが頭に浮かばない。18時13分38秒、機長“全て止まるぞ!”18時13分43秒、副操縦士“どこにも向かえません!”同50秒、副操縦士“メーデー、メーデー こちら….エンジンがフレームアウトし、墜落しています….”同14分35秒“(爆撃音)”ここでテープが終わる。ー

 ここからがポイントです。みなさんご存知の通り、航空機にはほぼ破砕不可能なブラックボックスが二つあります。一つは飛行データ(機体の動作に関するデータ)、もう一つはコックピッド内の音声を記録するものです。航空業界の墜落事例に関するアプローチは傑出、徹底しており、航空会社とは独立した調査機関、パイロット組合、監査行政機関が、ブラックボックスはもちろん、ありとあらゆる残骸を回収し調査します。その際の事故調査結果は、なんと民事訴訟で証拠として使用できないという法律があり、平たく言えば、事故の当事者は個人的な“恨み”などでは罪に問われません。徹底的な検証のあと、勧告書が記載された報告書が一般公開され、航空会社にそれを履行する責任が発生します。そのシステムはきわめて成熟しており、ミスを処罰の対象とせず、学習する貴重な財産とみなすのです。上に紹介した事例では、数多くの解決策や改善点が明確になりました。刮目すべき改善点の一つは、“機長”というヒエラルキーのために解決するステップが遅れてしまったこの事実に対し、どのように改善策が練られたかという点です。この事例を契機に、機長というポジションにいるものは、コックピットリソースマネージメント(チームワークを重視したリスク管理訓練)が義務化されたのです。つまり部下からの勧告に耳を傾けない傾向があればクビもやむなしです。(一方、医療業界では、偉そうな外科医が、周囲の看護師を怒鳴り散らしている光景が、いまだに見受けられます。)さらに副操縦士や機関士も、明確に上司に主張するトレーニングが課せられました。そのような失敗から学ぶ姿勢が、多くの成果を航空業界に蓄積していきます。国際航空運送協会(IATA)によると、2013年、3640万機の民間機がのべ30億人の乗客を乗せて世界中の空を飛び、そのうち亡くなったのは210人。830万フライトに1回ということになります。1903年、ライト兄弟が動力飛行に成功させてからわずか100年の航空史にもかかわらず、安全性の驚異的進歩です。一方、われわれ医療業界はどうでしょう。1999年アメリカ医学研究所は、“人は誰でも間違える”と題した画期的な調査結果を発表。なんとアメリカでは当時、毎年44000~98000人が回避可能な医療過誤で死亡しているというものでした。ジョンズホプキンス大学のピーター.プロノボスト教授は、2014年の上院公聴会でこう述べています。“つまりボーイング747機が毎日2機づつ墜落しているということなのです”と。われわれ心臓血管外科のフィールドでは、典型的な弁膜症であれば、手術死亡率は1~2%とされます。100人手術すれば1〜2人がお亡くなりになるということです。多くの医師は、その数字は、“良好な”あるいは“acceptableな(受け入れることができる)”成績と表現します。手術死亡例の多くは、回避できる人的ミスではなく、不可抗力的な合併症だから、“やむを得ない合併症による死亡”ということになるわけです。これは当事者の私からしても、事実として認めます。生身の人間の心臓を止めて手術する以上、100%事態の予測は無理です。しかしこのやむを得ないという思考経路に対し、これまでずっと違和感を抱いてきました。なんだかどうも居心地の悪い感じが拭きれないのです。だからと言って、お疲れ様、帰りましょう、でいいのかと。心の底では、本当にプロなら、“この天候なら墜落しても仕方がない”ではなく、“この天候で墜落するくらいなら飛び立つな”と言いたいのだと思います。手術のリスクを入念に説明して同意を得たとしても、合併症が起これば、自分の見通しの甘さで合併症が発生してしまったのではないかと自責しながら検証すべきなのではないかと思うのです。様々な正当な理由があるにせよ、手術死亡例を航空業界ほど科学的に徹底検証しているかと問われれば、自信を持ってYesと言える外科医は少ないと思います。

 

 このように、航空業界からすれば、医療界は未だに“散々たる結果(医師が良好だと信じている数字は、患者の実心情にかなっていない)”にもかかわらず“失敗との向き合い方”のシステムがきちんと確立していないのは事実だと思います。前述の通り、手術死亡の中には、不可避な不可抗力的合併症による死亡も多く含まれますが、一方で、本当は回避可能であったという事例もかなり含まれているはずです。何度も繰り返しますが、その検証システムが未熟なため、航空業界ほど一つ一つの事例から速やかに有効な勧告が得られていません。私がここで申し上げたいのは、医療安全対策とは、安全を100%担保することではなく、医療の不確実性を認め、客観的データ解析から失敗の原因を学び、次の患者さんを守ることを意味しているということです。それが理解されないまま、新しい治療法、新しいデバイスにばかりに食指を示す医師は、ただ新しく珍しいおもちゃで遊びたい子供と同じです。かつての私の上司、Dato’ Seri Dr. Azhari Yakub(Institut Jantung Negara 現CEO)は、mortality case meeting(手術死亡例検証ミーティング)こそ最も重要なミーティングで、どんなに時間がかかっても十分に行うべきであると述べていました。そのmortality meetingには、外科医のみならず、麻酔科医師や病棟担当医師も参加していました。また上尾中央総合病院心臓血管外科診療顧問(元、昭和大教授)手取屋岳夫先生は、畑村洋太郎先生の危険学プロジェクトに参加されており、経過の思わしくない患者さんの全経過を常に時系列で整理し、論理的に解析されていました。私のチームでもそのようなスタンスは大切にしたいと考えています。例えば、手術室にもフライトレコーダーに相当するものが必要と考え、些細なハプニングでもその経緯を示すデータを肉声とともに回収しています。前述の通り、チーム全員で共有できる客観的な生データから論理的に検証できるシステムの構築は、航空業界がお手本になりえます。またそれらのデータから、普段われわれが、“順調”と認識している多くの例からも、学ぶべき問題点が浮かび上がるはずだと信じています。例えば、手術室内に、患者さんが入室してから退出するまでの室内スタッフの動きの時空的データや、一つ一つの手技に要した時間データを回収し解析しています。“より少ない人員が、より短い移動距離を保ち、より短時間で一つ一つの手技をステップするほど、手術室内の安全性は高まる。”という仮説を立てて研究しています。

​患者さんへの敬意

 患者さんたちへの敬意は、毎日の診療努力で表現されます。テレビドラマで演じられる心臓外科医のかっこよさも、クールさも、全て虚像で(私にとってはコメディーです)、実際には生命の儚さに平伏したり、患者さんの容態に一喜一憂したり、日曜、祝祭日もなく愚直に人生の全てを捧げてきたと言っても過言ではありません。24時間いつも頭の片隅には、患者さんの容態の懸念が占有します。元気に退院され、元気に外来通院されることでのみ救われてきました。

 心臓手術を成功に導くため、外科医が持ち合わせなければならない能力とはどのようなものなのでしょう? よくそのような質問を若い先生方から尋ねられます。私も明確にはわかりません。でも次の4つの能力は、常に向上努力が必要と感じています。1. 論理的思考力:どう切開して、どう吻合すれば、自ずとどうなるかという思考力。2. アート:例えば真っ白なキャンバスに風景を描くとして、その背景や被写体の輪郭を、シンプルで美しく、絶妙のバランスに彩る力。3. 科学的思考力:プランされた治療後10年の人生を、今までの知見からどう説明できるか、ハッピーになっていただくためになぜ手術が必要なのかという説明責任能力。また得られた経験の客観的検証能力。4. マインド:例えば、一点差で9回裏フルベース、マウンドに立ったとして、フルカウントからどのような一球を投球できるか。明鏡止水のごとく動じないマインド。

 このように一例一例の手術において、われわれは患者さんだけでなく、周囲スタッフからも常に試されています。その施設のスタッフ内で評判の悪い医師には、関わらないのが無難です。

 私は幸運なことに、砂田医師(2005年名古屋市大卒、名古屋第一赤十字、名古屋東部医療センターなどを経て当科に赴任)、伊藤医師(2012年東大卒。竹田綜合病院、健康長寿医療センターを経て当科に赴任)という2人の論理的思考力の確かなスタッフドクターをはじめ、多数の優秀なスタッフに恵まれています。彼らはヒエラルキーにとらわられず、歯に衣着せず直説法で陳述し(ときには部長を弾劾し)、常に次の安全のために全力を尽くしてくれています。私のチームにYesマンは必要ありません。“常に失敗から学ぶことのできるチーム”が我々の大切な理念の一つです。“私、失敗しませんから”という外科医は、一見優秀そうに思えますが、自己正当化の罠にハマり、失敗から学ぶチャンスも自ら放棄する、典型的なヤブ医者です。私に限らず外科医は皆、発展途上の学徒なのだと思います。

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