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新しい治療法へのアプローチ

 心臓血管外科は、もちろん“心臓と血管の手術するセクション”です。昨今、この手術治療手段の多様化が進み、同じ疾患の手術適応例に対し、様々な治療オプションを提供できる状況になっています。例えば同じ大動脈弁疾患に対しても、人工弁、弁形成術、経カテーテル的治療など選択肢は多岐にわたります。患者さんたちにとっては、治療の選択肢が広がり、よりご自身のライフスタイルに合わせて治療を選択できるわけですから、ハッピーには違いありません。ですから各施設は、高らかに新しい治療方法や治療機器(デバイス)の利点を唱い、その結果をそれぞれが自画自賛します。しかしながらそこでわれわれ外科医があえて立ち止まり、留意しなければならないことがあると思います。個々にプランし施行した新しい手術技術そのものが、目の前のその患者さんにとって本当に有益であって、その人を本当にハッピーにさせているかどうか、術後5年後、10年後の治療効果の見通しを、患者さんにきちんと説明できているかどうかの検証です。当たり前のように思えますが、これが極めて難しい作業です。文献的データを持ち出したところで、新しい治療法なだけに実は医師もよくわかっていないことが多いのです。例えば過去にも、重症の特発性心筋症という末期的心機能不全の方に、“バチスタ手術”という手術が取り沙汰されました。ご存知の方も多いと思います。多くのテレビやドラマで取り上げられ、大変な苦労を重ねられた末期心不全患者さんにとっては救世主だったはずです。今、国内外でバチスタ手術を行っている施設はごくわずかに限られ、しかもその適応も手術法も大きく修正が加えられています。またアメリカではこの手術はほぼ禁止に近い状況にあります。いま日本でも循環器ガイドラインによれば、エビデンスレベルが6(1~6段階)、適応グレードはC2/D(A~D段階)、つまり、患者データに基づかない専門家意見のレベルの根拠として、科学的根拠がなく行わないよう奨める、または害を示す科学的根拠を有し行わないよう奨める、となってしまっています。今も昔も、リスクを負って手術を受けられた患者さんとすれば、そのリスクに見合った長期的成果を期待されるのは当然ですが、結果はお世辞にも良好とは言えません。当時バチスタ手術をお受けになられた患者さんたちは、今のこの現実について、当時どれほど的確な説明をお受けになられたのでしょうか? 新しい治療法のコマーシャルは、じつは難しい説明責任を背負う必要があるのです。ところが施設によっては、その肝心な説明があまりに軽率で、患者の人生など“われ関せず”なのかと疑いたくなる事例もありますし、また施設によっては、人間を墓場から掘り起こしてまで新しい治療法を試行しようとしていると揶揄したくなることもあります。残念ながら、“医師がやりたい治療=その患者さんに最適な治療”になっているとは限らないことを皆さん認識されるべきです。ガイドラインは存在しても、解釈次第でなんとでも方針が変えられるケースも多く、そのようなことにいかにフェアになるかという決定的自浄システムは、日本の医療界に持ち合わせていないからです。そもそも、手術成功とはどう定義されるのでしょうか? 緊急手術においては確かに、生死をさまよう状況の方を、とりあえず救命できれば成功と言えるかもしれません。しかし、将来の生命予後を改善しようとする手術(今現在、確かに心疾患による息切れがあっても、とりあえず日常生活はできている方の手術)では、1年やそこらでは成否はわからないはずです。デバイス操作の成功が、必ずしも手術成功ではありません。新しい治療法であればなおさらです。にもかかわらず、またある施設では、Web上で、“術後30日以内に死亡していない=手術成功”、として、手術成功率を高らかに掲げてあります。明らかにそれは、医療者側の安易すぎるマスターベーションで、そのような文言が無造作にネット上に掲載されている事実は憂慮すべき事態だと考えます。もちろん医療は、今も、今後もinnovationは必要です。ですから新しい治療法や治療機器の開発は今後も続いていきます。その有効な取り扱いコンプライアンスこそが肝要で、そこでわれわれ医師の良識が問われます。医療は発展途上にありながらも、患者の人生はたった一回であると外科医は今一度認識すべきです。患者さんの多くは、私より長く人生を歩んで来られた先輩でいらっしゃいます。是非、ご自身の全知覚神経を作動させ、診療を任せる医師や施設をご自身で選ばれたらいいと思います。

​2018年4月

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